バルト三国・6日目:2024年6月30日(日)エストニア・タリン歴史地区、ヘルシンキ着
6日目:6月30日(日)
09:30 Radisson Blu Hotek Olumpia発
[世界遺産]エストニア・タリン歴史地区観光(約3時間)
◎アレクサンドル・ネフスキー聖堂、◎聖カタリーナ通り、◎旧市庁舎、
●聖ニコラス教会、◎大聖堂、世界遺産の美しい街並みを見下ろせる◎展望台
昼食後、空港へ
エストニア・タリン空港発16:35〜(Finnair‐AY1022、ATR72、所要時30分)
~17:05ヘルシンキ・ヴァンター国際空港
18:00ホテル着 Break Sokos Hotel Flamingo
エストニア(Estonia)
首都:タリン
公用語:エストニア語68.5%、(ロシア語29.6%)
人口:137万人、出生率8.6‰、特殊出生率1.61
GDP:名目GDP 408億ドル(100位)、1人当たり名目GDP 29,839ドル(40位)
国家安全保障:最大動員数43,700人、軍事費GDP3.25%、徴兵制(8~11ヶ月)、
NATO加盟(2004)
民族比率:エストニア人69.7%、ロシア人25.2%、ウクライナ人1.7%
宗教:無宗教49%、正教会25%、ルーテル教会20%
社会:残留ロシア人問題、エストニア人とロシア語系住民の断絶
文化:パーヴォ・ヤルヴィ(2015年からNHK交響楽団の首席指揮者)
その他:電子政府・電子国家(e-ストニア)、電子居住権(E-Residency)制度、データ大使館・専用サーバー(ルクセンブルグ)、報道の自由度世界8位、IT技術者多い、Skype
Radisson Blu Hotel Olumpia(Tallin) - Wellness Area
09:30 Radisson Blu Hotek Olumpia発
[世界遺産]エストニア・タリン歴史地区観光(約3時間)
世界遺産登録基準:13〜16世紀のハンザ同盟都市には、ドイツ騎士団や修道会など、
さまざまな文化が交流したことから独自のキリスト教文化が形成され、
北欧各地に広まっていった。町には要塞と城塞で囲まれた建築物の風景が調和されている。
バルト海に面し13世紀にドイツ騎士団によって城が造られた。
13〜16世紀にハンザ同盟都市として栄えた貿易都市。
旧市街には火事や戦乱などを重ねながらもドイツ人商館や教会、市庁舎など、
◎アレクサンドル・ネフスキー聖堂
たまねぎ型のドームを持つ聖堂、ロシア正教教会
1901年当時の支配者帝政ロシアによって建てられた。
この聖堂は、エストニアの英雄の墓の上に建てられたもので、
ロシアの権力を示すとともに、エストニア人の民族運動を抑える目的があった。
聖堂内には、イコンやモザイク画の他、日露戦争で戦死したエストニア人の慰霊碑があり、
日露戦争で沈没したロシア艦隊を記念したプレートも掛けられている。
現在では、エストニアに住むロシア正教の信者にとって重要な教会となっている。
◎聖カタリーナ通り
ニット製品の露店が並ぶ「セーターの壁」があるムーリヴァヘ通り(Muurivahe通り)と
ヴェネ通り(Vene)をつないでいる小路。
中世を感じられる旧市街で最も美しい通りだと言われている。
工芸品の作業場があり、職人のガラス吹きや陶器の製造現場を見ることができる。
両側にはギャラリーやショップやカフェ、レストランなどがある。
◎タリン旧市庁舎(Tallin Town Hall)、ラエコヤ広場
ハンザ同盟の都市であった1404年に完成し、市庁舎の兵士たちは町を監視していた。
元のゴシック様式のピラミッド型尖塔は、1627年ルネサンス後期の尖塔に置き換えられた。
尖塔の上部までの旧市庁舎の高さは64mである。
1970年まで市庁舎で使用、1975年以降、市庁舎は市政府のレセプション、
コンサートホールや博物館として機能している。
市庁舎広場(Tallinn Town Hall Square)は、中世以来、
マーケットが開催される場所であり、この古いハンザ同盟の町の中心であった。
現在、夏にはテラスカフェがたくさんあり、旧市街の日やその他の中世の祭りが開催され、野外コンサートやマーケットの会場にもなる。
冬にはクリスマスマーケットになり、そびえ立つ15m級のトウヒの木は注目される。
クリスマスマーケットは、世界で初めてクリスマスツリーを建てたと考えられている
1441年にまでさかのぼる。
400年以上、雨の日も雪の日も、市庁舎の塔の上から旧市街を見守っている。
1530年設置、初代オールド・トーマスは、市庁舎の古代の地下室に、
2代目のオールド・トーマスは、タリン市立博物館に展示されている。
Old thomas(オールド・トーマス)
タリンで最も有名で伝説的なキャラクターの1人
トーマスは若き農民であったが、
少年の頃に貴族が開催した毎年恒例のアーチェリーコンテストで、
優勝したことで有名になった。
長年撃ち落とした者はおらず、その腕前と能力が認められ、
当時身分の低かった農民から、市長より市の警備員という名誉を与えられた。
次の数年も、リヴォニア戦争中に数々の英雄的な行為を行い、
タリンに仕えた若い英雄トーマスは、次第に町民にも認められるようになり、
市庁舎の風見鶏に彼の名前を付けることによって、トーマスを称えることに決めた。
それ以来、オールド・トーマスは街のシンボルとなっている。
13世紀当時にタリンに城壁がまだなかったため、
市民にとって聖ニコラス教会は要塞や避難場の機能も持っていた。
教会の正門が強化されてあり、人を隠す穴なども設置されていた。
14世紀に増築が行われ、15世紀の改築が現在の姿になった。
聖ニコラス教会の中に残されてきたアート絵画の精緻さと数量を見ると、
中世タリンの商売や貿易が繁盛し、聖ニコラス教会にいかに富が集まったことが伺える。
二次世界大戦時に聖ニコラス教会は爆撃され、建築及び内容物のほとんどは焼失し、
壊れてしまった。しかし聖ニコラス教会の再建が1953年に始まり、
30年余りの時間をかけ、1984年に再建が完了した。
現在、聖ニコラス教会は、二グリステ博物館(Niguliste Museum)として芸術品や絵画の展示やコンサートホールとして営業している。
大聖堂は、1219年にデンマーク人がトームペアを占領してすぐ建設した教会で、
エストニア本土で最古の教会。聖母マリア大聖堂とも呼ばれている。
創建当初は、木造の教会であったが、その後石造の大聖堂が建立された。
さまざまな建築様式が混在する教会となった。
1684年には、トームペアを襲った大火災によって大部分を消失し、
約100年の年月をかけて再建された。
大聖堂の特徴は、教会でありながらも「墓所」としての役割もある。
教会の壁には無数の墓碑銘や紋章、墓標や石棺があり、
教会の床には墓石(最古のものは13世紀から)が横たわっている。
動物が描かれた肉屋のギルドや靴屋のギルドの墓石などがある。
タリンの旧市街は、中央部の「ラエコヤ広場周辺」と南西側の「トームペア」との間に
高低差があり、タリンの街並みや塔、バルト海を一望できる。
現在のタリンは、「バルト海のシリコンバレー」と呼ばれるほどIT産業が盛んな町で、
ここでSkypeが開発された。
昼食(ビーフシチュー)後、空港へ
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